いきなり資金がショート
2014年12月、自分らは物件の着手金を納めてから、政策金融公庫からの融資の申請を進めていました。ただ、飲食経験が浅い自分が、融資を受けるのは、相当厳しい状況であり、バディの経験を武器にするしか方法がない。自分の手元にある資金は、内装費に掛けて、数万円しか無かった。この時は、なるべく、お金を節約するために、2人で共同生活をしていた。そんな切羽詰る状況下で、年明け前に2人は近くの喫茶店で、どんよりした重たい空気感が漂いながら、ミーティングをしていた。
その時、バディの携帯が鳴る。
その電話は、政策金融公庫に掛け合うために、バディが連絡を取っていた税理士事務所の方からであった。
「今年いっぱいは、時間が取れないので、来年の年明け早々に、事務所へお越しください」
という連絡が入ったみたいだった。2人の間に張り詰めていた重たい空気が、少し軽く肩の荷が降りたように感じた。と共に紅色の夕陽が窓越しに差し入り、薄暗い世界から少し飛び出し、希望の光が2人の心の隅の方まで、照らしてくれた。
そして、年は開け2015年1月5日、バディと共に、税理士事務所を訪れた。
税理士事務所の方とは、自分の経歴とバディの経歴をお伝えしたところ。
「これなら、必ず融資金を受け取ることはできますよ。」と言って頂いたので、それから創業計画書と融資申請書類の作成を開始し、1月中頃には申請は完了していた。
融資担当者からは、「2月初旬を目処に結果は通知します」と回答を頂いた。
それから、バディと共に、今できる最大限の準備はしておこうと、お店がオープンしたら、使うであろう食器類や通信機器等を買い足し、店内を清掃しながら、早く融資が降りることを待っていた。そして、予定通りの2月初旬ごろに連絡が入った。
「お二人の経歴だけを根拠に、融資を出すのは少し難しいです。」
「ただ・・・・・」
「担保を入れて頂ければ、融資可能です。」
「担保か〜」頭は真っ白になって、天を仰ぎました。神様は俺のこと見放すんか〜って心の中で叫んでいた。ただ、ここで真っ先に頭に思い浮かんだのが、親父でした。
この時の親父との仲はすこぶる悪かった。
自分が、消防士を辞める時に、もちろん両親も反対していた。
「お前がなりたいって言って、ついた職業ちゃうんか??もっと頑張れよ!!辛抱せんかい!!お前は今後どうするんな??」こんな感じで、消防士を辞める際には、ボロカスに言われていた。ただ自分は自分の人生、一度っきりの人生やからと思って、両親の反対を押し切って、勝手に消防士を辞めた矢先の話だった。
もうダメ元でもいいから、やるしかない。
親父に話すしかないと思い立ったが、吉日って事で、
すぐに、親父に電話しました。
「話したいことがあるから、今から徳島向かうけん」
「明日の朝時間空けといて」っと要件だけを伝え、電話を切った。
自分がしていることは、いつも突然で、家族やいろんな周囲の人を巻き込んでいる事に、少し罪悪感をも感じていた。
とは言え、動きだいた運命に逆らうことはできず、その夜の夜行バスで東京から徳島に夜行バスで、向かった。片道12時間という夜中のバスの居心地は最高に悪く、眠れない夜となった。そして、朝の実家に到着後、玄関から、リビングの様子が少し見えた。そこには、昔ながらの亭主関白で、侍みたいな親父は、リビングのど真ん中にどっしりと構えて冷静に座っていた。
もう開口一番に、怒鳴り付けられるのを覚悟し、自分からゆっくりと話を切り出した。
自分「居酒屋を開業する事にしました。それで、今は融資を申請中です。そこで、担保が必要と言われたので、自分に力を貸してください。自分は消防士を辞めて、一度っきりの人生、真剣にやりたい事をして生きたいんです。迷惑を掛けているのは、重々承知でお願いに来ました。」
親父「・・・・」
少し沈黙が続いき、親父はゆっくりと冷静な口調で、言いました。
親父「経営ってな。そんなに甘くないんぞ。それ分かってるか?初めは自分でなんでもやらなあかんし、ずっとずっと一生勉強せんとあかんぞ。」
自分「分かってる。覚悟してる」
親父「そうか。お前は、消防士になりたいって言って、一生懸命頑張って、消防士の夢叶えたもんな。そうやな。お前なら、また次の夢きっと叶えれるけんな。頑張れよ。」
自分は、涙が止まりませんでした。自分のことをここまで見てくれていた親父に感謝の気持ちでいっぱいになりました。この親父の息子で良かったと、初めて想った瞬間でした。それから、親父の背中を見て、これまで育った自分にとって、親父が目標になった瞬間でもあった。
そして、親父が経営している会社にはいくつかの土地があったので、この土地を担保に融資をして頂きなさいと言葉を頂き、話が終わったら、早々にバスで大阪に向かい、新幹線に乗り継ぎ、その日の内に東京へ帰った。
担保を入れた事により、融資の申請も順調に進める事ができ、居酒屋の開店まで少しだけ肩の荷を降ろす時間が取れた。
が束の間だった、、、、
オープンを先延ばし
内装業者からの連絡が入る。
内装業者「お金の振込が確認できないと、着工できません。」
自分「もうすぐ、振込できるので、お願いします。今融資の申請をしていて、もうすぐで融資降りるので、お願いします。確実にお金は支払いますから。」
内装業者「そんな事言われても無理です。」
話も何も聞き入れてくれなかった。もう指を咥えて、融資が降りるのを待つしか無かった。もちろんその間、家賃代は発生していた。
この時の自分の心はこんな感じ。
経営者をするのは、初めての経験で、右も左も分からない状態で、色々辛いことも大変なこともいっぱいある。只々がむしゃらに起きた出来事に対処対応して行くだけで精一杯の日々を過ごしてる。自分の心は関わる人たちにギュッギュッと締めつけられる感じもしていた。それでも、自分にはとても新鮮で充実感と生きてる感じがして、とても幸せを感じていた。
『人生って素晴らしい。新しいチャレンジをする事って、なんて面白いんだ』
『だた、いつも支えてくれる人に感謝の心だけは、絶対に忘れずに生きて行こ』
そんなこんなで、いよいよ2014年3月19日に居酒屋『炙り屋』のオープンの日を迎える事になった。
そして、親父が経営している会社にはいくつかの土地があったので、「この土地を担保に融資をして頂きなさい」と言葉を頂き、話が終わったら、早々に鳴門高速のバス停へ母親が送ってくれる道中、一言だけこう言ってくれた。
「身体に気をつけなよ。またいつでも帰ってきなよ。」
っと、母親は寛大に、自分の背中を押してくれた。海なる母はこういう事かと、感じながら、鳴門高速から大阪に向かい、新幹線に乗り継ぎ、その日の内に東京へ帰った。
担保を入れた事により、融資の申請も順調に進める事ができ、居酒屋の開店まで少しだけ肩の荷を降ろす時間が取れた。
が束の間だった、、、、