最高経営責任者(CEO)

経営の厳しさを痛感

上々の滑り出し

当初より、1ヶ月近く遅れて、オープンした居酒屋『炙り屋』は、いきなり予算を遥かに上回った売上を叩き出していた。その時、バディと共に休まず、2人でお店に立ち続けた。それから数日が経つにつれて、お互いのやり方に不満を持つこともあり、偶に営業に関して揉めることも出始めていた。それでも、2ヶ月が過ぎた頃は売上も好調だし、ランチも開始しようという事で、ランチもオープンさせると同時に、お互いのストレスを少しでも軽減させる為にもアルバイトの募集を募ることにした。

ある日、いつの様に営業を開始し、バディとアルバイトの求人について、話していると、その時偶然にも、居合わせたお客さんにアルバイトの話を持ち掛けてみると、

「今の仕事を辞めて再就職し直すから、少しの間なら手伝えます。」とあっさりと決まった。なんだかんだ言っても、うまく行く時は、うまく行く。そして、求人広告からも1名加わり、仲間は2ヶ月でいきなり4人に増えた。そこからも売り上げは落ちることなく、予算よりも売り上げは登り調子で、予想を上回り続けてくれた。

そして、同じくバディと出逢ったピザ屋で働いていた、黒部くんが新たに仲間に加わることになった。炙り屋がオープンして4ヶ月で仲間が5人になり、少し自分自身も『案外いけるやんか』と調子に乗っている時だった。

6ヶ月が過ぎようとしていた頃、バディと自分は将来の炙り屋の行き先について、話をしていた。バディは以前に経営を経験している経験値から、おもむろに話し出した。

「次の展開を考えた方が良いから、どちらかは外回りで新しい仕事を見つけてくることにしよう」

自分は、この時バディの事を、本当に心から信頼していた。ここまで、上手く言っているのも、バディのお陰だ。きっとそうなんだと。きっとお店は上手く切り盛りしてくれるはずだと、バディを信じて、自分は新しい仕事を見つける為に外で、仕事をすることにした。この時は、未来にどんな光景が待ち受けているのか??全く想像もせず、ただひたすらに前だけを向いて、今まで以上に日々一生懸命に生きていた。

それから、更にアルバイトの人数は、2人増え総勢7名になっていた。

そして、一年はあっという間に過ぎ、みんなの頑張りによって、売り上げは一年目にしては、上出来で利益を出し続けていた。年が明けた2年目に入った頃から、運命の道が険しく、薄暗い景色に変化し始めることになる。

その頃、自分はパーソナルトレーナーとして、次なる事業の展開として、考えていた。飲食店とフィットネス事業のコラボした企業展開は、この頃はトレンドでもあった。

フィットネスをした後に、健康ヘルシーランチ、食事のバランスを考えた食事を30分以内に摂取することにより、筋肉への吸収が高まる。等々、身体の健康においては、飲食とフィットネスは切っても切り離せない関係性を育んできる。

ただ、少しずつ不安に感じていた。不吉な事が起き始める。お店の現金が抜かれている。勤務中にお客様の前で、喫煙をする。。。。まあお客様に恵まれているし、常連のお客様の前だけなら、100歩譲ってオッケーだったが、閉店時にタバコの吸い殻がカウンターに置きっ放し。洗い物は放置しっぱなし。

ここら辺から、お店のバディや仲間のモラルが落ちている事、と同時にお店の清潔レベルが落ちている事、接客サービスレベルが低下していることに、気が付き始めた。正直、言ってバディに失望した瞬間だった。ただ、ここで失望したからと言って、自分の運命をこのまま薄暗い闇に突き進むことは避けたかった。。。

あくまでも、自分の人生、自分が選択した道で招いた事実を、真っ直ぐに受け入れた。

急展開で新事業??

2年目は前年比で、売り上げは落ち続ける事を免れず、開店当初の勢いは感じられず、失速している中、バディは新しい事業展開について、話を持ち込んだ。それをきっかけに、築地で鰻屋を営んでいる鰻屋とデリバリー事業を協力して、進めることとなる。居酒屋『炙り屋』が3年目に差し掛かる時期だった。そして、自分自身が考えていたフィットネス事業とのコラボは諦め、自分自身が鰻屋のデリバリー事業にどっぷりのめり込むことになる。

今までも、新しい事業に従事している中でも、自分は『炙り屋』の経営者である事を一度も忘れたことはなかった。しかし、引き返す事が出来ない現実。立て直すことも不可能な現状。自分自身の経営者としての力の無さを痛感した。とても無力だった。3年目に入った頃の苦渋の選択をすることにした。

このままでは資金はショートしてしまうのは、見えていた。預金残高には資金は残っていなかった。銀行への借り入れを考えたこともあった。政策金融公庫へ追加融資を申し入れることも考えたが、

自分の選択は廃業だった。

いくら資金が整ったところで、組織のマネジメントをする自信がなかった。更には、売り上げを作る気力も知識も方法もなかった。心も身体もボロボロになった。悲劇のヒロインの様だった。

ずっとずっと眠れない日が続いた。

そして、2016年8月に居酒屋『炙り屋』は閉店を迎えた。この頃、また親父の言葉を思い出していた。

「お前なら、次の夢も叶えれるけんな」

幼い頃からずっと親父が言ってた言葉

「お前はコツコツやるけんな。大器晩成型やけんな!苦しい時こそ、踏ん張って、頑張るんぞ!」

幼い頃から、自分の事を信じて、期待を裏切った様で、悲しく一人夜の川辺を歩きながら、考えていると自然と涙が頬を伝っていった。

その後も時間というものは、待ってくれることなく、心の整理がつかないまま、自分は鰻屋のデリバリー事業を支える為に、鰻屋に移籍することになる。

⭐️この2年半の経営をがむしゃらに突き進んで、学んだ事3つ

①上手く行く事が一生は続かない!だからこそPDCAサイクルが大切!

②リーダーシップとマネジメントの重要性

③ビジョンの大切さ

これに尽きます。

この3つの要素について、記事も書きますので、ご覧ください。